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遠い日に残してきた未完了の思いってありますか?

●●さん こんにちは

at WILL 心理セラピストの長井啓悟です。

新しい年、2015年がスタートして早1週間が過ぎました。
●●さんはどんなお正月を迎えられましたか?

僕は三が日だけお休みをいただきましたが、僕の住む京都は
なんと61年ぶりの大雪で、連日猛吹雪、道路には街中とは思えないほどの
雪がつもり、ほとんど家から出ることもできませんでした。

最終日にはなんとか近所の神社へ初詣に出かけ、翌日にはご先祖様の
お墓参りに行き、去年1年間健康で過ごせたことへの感謝と
今年にかける思い、1年間また一生懸命に生きますという報告をしてきました。

そうそう、元日に実家に行き、そこでいきなり父親と大喧嘩をして
しまったりなんてこともありました(~_ ~ ;

その辺のエピソードもどこかでお話できれば...とは思っています(笑)

それでは長井啓悟の第2回メールマガジンをお届けいたします。
どうぞ最後までよろしくおつきあいください。


【遠い日に残してきた未完了の思い】

さて今日はタイトルのとおり、未完了の思いについて
僕の経験をもとにお話したいと思います。

「未完了の思い」というのは簡単にいうと読んで字の如く、

過去のネガティブな体験から生じた未だに終わっていない
処理しきれていない心の中にある思い、
叶えられなかった願望や消えない傷み、
恐れなどの感情のことを云います。

では、その未完了のなにが問題なのか?

たとえば幼い頃に経験したなにかが、未完了のまま心のどこかに残ってしまっている場合。

あまりにつらい経験であったために思い出さないよう心の奥底に封印してしまっている場合。

時間の経過とともに表面上では忘れてしまっていたり、あきらめて切り替えたつもりのことが、
それと似たような出来事やシチュエーションに遭遇したときにフラッシュバックのように思い出されて悲しくなったり、

怒りがわきおこったり、またあのときと同じようなつらい思いをしてしまうのではないかという不安や恐れから
身構えたりして人間関係に支障をきたしたり、生きづらさをもたらすことがあるからです。

●●さんはそんな経験や思い当たるところはありませんか?
これって実は多かれ少なか誰にでもあることだと思います。

僕もたくさんあります。。。

今日は僕の子どもの頃の経験をお話ししますね。

●●さんは森永製菓さんのチョコボールというお菓子はご存知ですよね?
当時はビューティフルサンデーの田中星児さん(古い!)がCMに出ていたのを覚えています。

あれの目玉はなんといっても封を開けたときに箱のくちばしのところに金のエンゼルが出たら1枚、
銀のエンゼルなら5枚を集めて送ることでもらえるおもちゃのカンヅメでした。

僕も幼い頃、どうしてもおもちゃのカンヅメがほしくて、お菓子といえば必ずチョコボールを買い、
金のエンゼルが出ますように、せめて銀のエンゼルが出ますようにと祈るように箱を開けては一喜一憂していたのを覚えています。

余談ですが金のエンゼルは奇跡的な割合でしか当たらないのでほぼ期待できませんでしたが、
銀のエンゼルは金ほど出現率は低くなかったので、僕は確実に5枚集める作戦を選択していました。

そして、一生懸命チョコボールを買って、長い月日をかけてなんとか4枚まで集めることができた僕は、
それを大事に机の引き出しにしまい、学校から帰ると毎日のようにながめては
「ああ、あと1枚だ、あと1枚でおもちゃのカンヅメがもらえるぞ♪」と、
それこそ夜寝る時までそのことを思い浮かべながら次にチョコボールを買うときを楽しみにしていました。

そしてついに…
ついに僕は5枚目の銀のエンゼルを引き当て、一目散に小躍りしながら家に走って帰りました。
「やった!ついにやったぞ!ついにおもちゃのカンヅメを手に入れたぞ!」

そのときのうれしかったこと、たかがお菓子の景品とはいえ、
子どもの僕にとってはこのうえない幸福感と
達成感に満たされた歓喜の瞬間でもありました。

そして僕は部屋に直行し、胸の高鳴りをおさえつつ4枚の銀のエンゼルがしまってある引き出しを開けたのでした。

開けたのでした…

しかし…
目の前にあらわれた光景は、うれしさのあまり高鳴る胸の鼓動を、一瞬にして不安の胸騒ぎに変えました。

「ない。」
昨夜までそこにちゃんとあった4枚の銀のエンゼルがどこにもありませんでした。

僕はわけがわからなくてとにかく必死で、
心臓が張り裂けそうなくらいドキドキしながら引き出し中をさがしまわりました。

ふと気づけば、ほかにもいろいろとあったものがなくなっていたり、
レイアウトが変わっていました。

僕はとっさに母を問いつめました。
「ここにあった銀のエンゼルは!?」

母は言いました。
「机の中が汚いからゴミは全部棄てた」

僕は全身から血の気がひいていくのを感じ、やがて全身がふるえるほどの怒りがこみあげ、
もうそれをおさえることなどできませんでした。

僕は母に「なんで、なんで棄てたんだ!なんで勝手に棄てるんだ!
ゴミじゃない!せっかく集めたのに!
長いことかかってやっと集めたのに!
返せ!全部返せ!一生懸命集めた僕の銀のエンゼルを返せ!!」

と、精一杯の怒りをぶつけましたが、しょせんは小学校の1年か2年の子どもです。

バシッ!と一発、頬に衝撃と熱い痛みが走るのと同時に、
僕のささやかな抵抗は瞬殺されてしまいました。

母は、親に向かってどうのとか、そもそも誰が買ってやったものだとか云っていたように思いますが
もうショックでショックで、そんな言葉は耳に届いていませんでした。

僕はただ、にぎりしめたおもちゃのカンヅメに変わるはずだった5枚目の銀のエンゼルをながめながら
ただただこみ上げるむなしさとくやしさと怒りを必死でこらえ、悲しくて悲しくて、ただただ悲しくて
涙が止まらず、ずっと泣き続けていたの覚えています。

今も書いていてなんともいえない気持ちがこみ上げてきます。。。
まさに未完了の思いですね。

その後、僕はもう一度集め直すことを試みましたが、
ただでさえ集めにくいものをまた一からという気の遠くなるような感覚と
チョコボールを買う度に思い出す悲しい光景と母への感情、

そしておもちゃのカンヅメ自体が僕のほしかったそれとはちがうものにリニューアルされてしまったこともあり、
とうとう僕がおもちゃのカンヅメを手に入れることはありませんでした。

ただ、今でもコンビニとかでチョコボールを見かけると、おもちゃのカンヅメほしかったなぁ…って複雑な思いがしたりします。

また、それ以降僕は母親のことはもちろん、誰のことも信用できなくなり、
学校へ出かける前には母親にこれはゴミじゃないから、
しまってあるものだからと念を押してから出かけたり、
帰ってきたら真っ先に自分のものが棄てられていないか確認したりする非常に神経質で、

人を信用しない、なんでも疑って見る子どもになっていきました。

大人になった現在でも「とにかく人は僕の大切にしているものを棄ててしまう→壊してしまう→奪う」という思い込みが刷り込まれ、
人間関係やパートナーとの関係においてもそこがネックになっていると感じることが少なくありません。

僕はゴミとわかっているものでも、誰かに棄てられるのがすごくいやで、自分で棄てないと気が済まなかったりします。

そういった心理が働くからでしょうか、実際僕のパートナーは以前はよく僕のものを勝手に棄てたりしていましたし、
僕が大切にしているもの、たとえば車なんかはぶつけて壊してきたりなんていうのは今もしょっちゅうあるし、
信じられないような話ですが、棄てるなよ、壊すなよと強く思っているときに限って
図ったようにそれらのことが繰り返されるという悪循環…。

思考は現実化するとはよくいったもので、そういう思考や感情が知らず知らずに
自分の中の恐れを現実化してしまっているとしたら、ちょっとおだやかではないですよね。

ではこの未完了をどうやって「完了」させるか?

まずは自分の中にある悲しみや怒りの原因がいったいどこからくるものなのか?

もし自分の中に未完了となっている思いや傷みがあると気づいたら、そのことをごまかさず否定せず素直に受け容れること。

信頼できる人に心の中をうちあけ、話を聴いてもらうのもひとつの方法ですが、
本当に大切なのはそのときに感じた悲しみや怒り、傷みや絶望といった感情や感覚を
外側に解放していくということが重要になります。

あなたを生きづらくさせる、人間関係をぎくしゃくさせる未完了の“感情を終わらせる”
と云ったらわかりやすいでしょうか?

ずっと満たされないままの思い、吐き出せなかった怒りや悲しみといった感情と向き合うことは、
一時的には苦しかったり、ときに痛みをともなうこともありますが、

あなたが自由で心軽やかに、自分らしく生きていくための大きな変容をもたらす契機となることを信じて疑いません。

長くなりましたが今日はこのへんで。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。 

※追伸

今日は僕の子どもの頃の経験をシェアさせていただくことで未完了というテーマでお話をしました。

僕のケースは、そのときの母に抱いた怒りとか悲しみの感情を解放すること。
なおかつ、今からでもおもちゃのカンヅメを手に入れることができたら、
よりよいかたちで未完了を終わらせることが出来ると思います。

正直、本文でも触れましたが、幼い頃の記憶をたどりながら、当時の情景や心の動きをありありと感じ、
いまだ消えない母への複雑な感情や、満たされなかった思いがこみあげてくるのをおさえられませんでした。

終わっているようで終わっていないのですね…。

たしかそのことがあってから数年後に母にこの話をしたことがありましたが、
当然のように母は覚えていませんでしたし、おまえはしつこいと一喝されて終わりでした。。。

悲しいですよね。

でもね、やった本人なんてこんなものなんです。
だからといってまちがっても“現在の”本人にぶつけたり、
謝らせようなんて思わないこと。
100%逆効果で、新たな遺恨、問題を生み出すだけです。

「じゃあこの悔しさや傷みや悲しみはどこにもっていけばいいんだ!」

はい、本当にそうですよね。
同じような経験だったり、思いをもっていらっしゃる方もおられるかもしれません。

“自分の内なる思いに、心に、感情に正面から向き合う”
それしかないと僕は思います。

そんな思いに、決意に寄り添うために僕は活動をつづけています。

「自分と向き合う、本当の心に向き合う。」

その覚悟ができたらいつでもご相談いただければと思います。

今回のメールマガジンはいかがだったでしょうか?
感想などをいただけるととても嬉しいし励みにもなります。

このメールにご返信いただければけっこうです。
お待ちいたしております。

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