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●●さん こんにちは
at WILL 心理セラピストの長井啓悟です。
相変わらず寒い日が続いています。
今年は暖冬だと聞いていましたが、暑さにはめっぽう弱いけれど、
寒さには強い僕が今年は寒い!と感じるのだから相当寒いはず!?
1月は雨の日が多く、これを執筆している今も、
外は昨夜からの冷たい雨がやむことなくずっと降り続いています。
さすがにひと月近く鬱陶しい日が続くと、気分も滅入りがちだったりしますが、
風邪やインフルエンザが猛威を振るっています。
あなたはお風邪など召されていませんか?
健康管理には十分配慮し、元気に冬を乗り切りたいものです。
それでは長井啓悟の第4回メールマガジンをお届けいたします。
どうぞ最後までよろしくおつきあいください。
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笑ってごまかすとき、笑顔の裏にある本当の思いとは。
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あなたはどんなときに笑いますか?
人が笑うときって普通はおもしろいとき、楽しいとき、うれしいときだったりしますよね。
だけど人は「そこ笑うところじゃありません。」というときにも笑ってしまうことがあります。
人間は笑うことによって極度の緊張状態をやわらげたり、恐怖をごまかしたり、
ときには痛みをこらえるときにも痛すぎて思わず笑いがこみあげたり…
つまり笑うことで感じないようにする作用があるのです。
いわゆる「笑ってごまかす」というやつです。
じつは僕もいまだにその習慣が残っていて、難しい質問をされたり、できそうもないことを
頼まれたり、もの凄く困ったときなど、知らず知らずに笑ってしまっていることが多々あります。
これを「死刑台の恐怖」という言葉で表現されることもあるんですが、なんだか怖いですよね。
まさに今、死刑台に上り、刑が執行されるときを待つ死刑囚が死の恐怖から思わず笑ってしまう様を
表現したものですが、死の恐怖とまではいわなくても、{COL1}さんもこのような経験がありませんか?
【ゆがんだつくり笑顔で恐怖と屈辱をかき消すしかなかった幼少時代】
僕は今思えば、幼稚園、小学校と幼い頃はとてもわんぱくで目立つ子どもでした。
ですから幼稚園や学校で怒られるなんていうことは日常茶飯事。
たとえば幼稚園のときのエピソードですが、僕はふざけたり、いたずらをしては先生に怒られて、
仏教系の幼稚園に通っていたため、みんなが園庭で楽しく遊んでいるとき、
僕だけ御仏様(みほとけさま)のおられるだだっ広い部屋にひとり連れて行かれ、
仏様の前でずっと正座させられたことが何度もありました。
まだ4歳や5歳の子どもですからね、そりゃみんなが外で遊んでいるのは羨ましくて仕方ないわけです。
同時に子ども心にみじめで悲しくて、みんなに指をさされて、かっこ悪くて恥ずかしくて。
幼い僕にとっては屈辱であると同時に、いつまでこの孤独な軟禁状態が続くのかという
恐怖を感じていたわけです。
恐怖という意味では、迎えにくる母親にも、今日こんなことがありましたと先生から報告され、
帰ってからも今度は親に怒られるという恐怖もあったわけです。
怒られて、自分だけ表に出してもらえず、暗くだだ広い部屋にひとり置き去りにされ、
みんなにその姿を笑われて…
その恐怖と屈辱と悲しさを紛らわせるために、いつしか僕は平気なふりをして、
よけいにおどけてみせたり、わざとヘラヘラ笑ったりして、
さらに先生の怒りを買うという悪循環を繰り返していました。
小学校のときもそうでした、自分だけ先生の机の真横に席を移されたり、
いちばんひどかったのは廊下に机を出され何日もその状態を続けられたときでした。
毎日毎日、廊下で友達や先生が通るたびにからかわれたり、反省してるのか聞かれたり、
そのときは本当につらくてつらくて、ちょっと油断したらわーっと泣き出してしまいそうになるのを
ゆがんだ作り笑いをうかべることで必死でごまかしていたこともありました。
あれはさすがに堪えましたし、学校に行くのが苦痛で苦痛でしかたありませんでした。
なにが悲しかったってほかのクラスの先生も声もかけてくれなかったです。
親はそんな状況の僕を来る日も来る日も、出かける前、帰ってからと恥さらしと罵倒するだけで、
誰も助けてくれなかったことです。
いや、今思えばあれは虐待ですよ。
はっきり云います、僕はもの凄く傷ついていました。
【いつしか身につけてしまった、ゆがんだ笑顔でごまかす術】
僕のゆがんだ笑顔の下にはとてつもない、悲しさと、怒りと、悔しさと、恐怖と屈辱があったのです。
そしてそれらはまだ、未完了のまま僕の心のなかで消えずに残っているのを感じる瞬間があるのも事実です。
その頃から僕は、つらいことやイヤなこと、傷ついたり困ったりすることがあると、
しらずしらずに笑ってしまう習慣がついてしまったようなのです。
あなたの笑顔の裏にある本当の気持ちは、思いはなんですか?
怖いと言ってもいいんです。
悲しいと、悔しいと、イヤだと、腹が立つと言ってもいいんです、感じていいのです。
感じることをやめない、感情にふたをしないこと。
傷ついているのに、それを隠してつくり笑いでさらに自分をみじめにすることはもうやめるべきです。
悲しかったら泣けばいい、悔しかったら怒ればいい、イヤだったらイヤだと叫べばいいのです。
もしそんな過去からのつらい思いを抱えている人がいたら、今からでも遅くはありません。
笑顔の裏にある本当の感情と向き合い、それがいつのもので、どこからきているのか。
その声に耳をかたむけ、わきあがる思いにふたをせず正直に感じてみる、寄り添ってみる。
過去の恐怖や悲しみをきちんと終わらせ手放すために、そこからはじめてみませんか?
恐れから笑顔をつくるなんてとてもナンセンスです。
楽しいとき、おもしろいものをみたり聞いたりしたとき、素敵な人やものや場所、
大好きな人に出会ったとき、そんなしあわせなときにだけ笑えばいい。
そういうときに素直に、心から笑える人でありたいものです。
ではまた。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
『編集後記』
今回のメールマガジンいかがでしたか?
今思えば本当にこの手のネガティブなエピソードには事欠きません(汗)
小学生のときの廊下に一週間以上机を出された件は、結局それをたまたま見かけた
どこかの父兄が学校に抗議してくれて、もとに戻してもらえたように記憶しています。
幼稚園のときに叱られたことで鮮明に覚えていることのひとつですが、
先生が「今日はみんなの好きな歌を唄いましょう」と言ったのです。
そこで、同世代の方にしかわからないかもしれませんが、
僕はちょっとふざけて当時テレビからよく流れていた山口百恵さんの
歌を唄ったのです。
「あっなたーがのぞむならー、わたしーなにをーされてもいいわー♪」
歌詞の意味などまったくわからず、ただ覚えていたフレーズをくちずさんだだけのことでしたが、
周りのお友達が笑っているのに気をよくして調子に乗っている僕の襟首を血相を変えた先生が後ろからつかみ、
“みほとけさま”のおられる別室へと引きずって連れて行きました。
当然ながら先生のいう、みんなの好きな歌というのは童謡とかの類いの歌です。
今思えば、みほとけさまの子ども達の前でこの歌はまずかったな、とは思いますが(笑)
こっぴどく叱られて、御仏様にごめんなさいをさせられ、帰ってからも親から怒られ、
しばらくテレビも視せてもらえず散々でした。
本文でも書いたとおり、自分だけ暗く冷たい、ただただ広い別室から、
みんなが外へうれしそうに出かけていくのを横目に見送るときのさびしさ、
悲しさ、屈辱感といえばなかったですね。
「僕もいきたーい!」
つくり笑いで余裕をかましてみせていても、心ではそう泣き叫んでいたに違いありません。
それ以来、僕は山口百恵さんが苦手になってしまって、テレビで見かけるたびに
そのときのことを思い出してしまうのがつらかったのです。(実話です)
余談ですが小学生の頃、桜田淳子さんのほうが好きだったのはそのせいかな?
と感じたりもしています(笑)
ちょっと古くて、わかる人にしかわからない話で申し訳ありません^^;
今でこそ笑い話に変えられる部分はありますが、きっかけひとつで、
子どもの心にはそんな余分なトラウマまでできてしまうものなんですね。
こんなふうに小さな頃の悲しい出来事や怖かった経験が、感じることを恐れ、
本当は悲しいのに、怖いのに、笑顔でそれをおさえこむ。。。
なんだかやるせない、とてもせつない気持ちになるのは僕だけでしょうか?
もし、あなたにお子さんがいらっしゃったら、その子の笑顔は大丈夫ですか?
注意深く、愛情深く、やさしく見守ってあげてくださいね。
もちろん、あなたの中にいる、幼かった日のあなた自身のことも気にかけてあげてくださいね。
〈今回の僕のメールマガジンはいかがだったでしょうか?〉
感想などをいただけるととても嬉しいし励みにもなります。
このメールにご返信いただければけっこうですので、楽しみにお待ちいたしております。
それから。。。
僕のコラムを読んでいただいたことはありますか?
読んでくださった方、いかがだったでしょう?
まだお読みいただいていない方はよろしければ
こちらからご覧いただけます。
そちらの感想なんかもお待ちしております。
感想やご意見をいただいた方には、お時間をいただくかもしれませんが、
必ずお返事させていただきますね!
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