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僕はお父さんとお母さんの本当の子じゃないの!?

●●さん こんにちは

at WILL 心理セラピストの長井啓悟です。

早いもので、1月も半分が過ぎました。
なんだか年齢を重ねるごとに1年、1年の経過が早いと感じるのは気のせいでしょうか?

10代、20代の頃は時間が無限にあるようで、
むしろ日々をもてあますような感覚さえありましたが、

40代も半ばを過ぎると、なぜか時の流れが速くて自分の歩みよりも時間が
どんどん先に進んでいってしまうような焦りを感じることもあったりします。

20代のうちに気づいておけばよかった…
30代のうちにやっておけばよかった…

そんな後悔もしょっちゅうですが、過ぎた日々は取り戻せず、
過去を悔やんだところでどうなるものでもありません。

それでも振り返ればこそ気づく、過去からの学びもあると思うのです。

あなたはご自身の過去になにを学びますか?

年頭に僕は40代を気づいてよかった、やっておいてよかった、
と振り返ることが出来るよう、
今日を明日を、一日一日を大切に刻んでいこうと自分と約束しました。

悔いのない人生を、望む未来を創造していきたいものですね。

それでは長井啓悟の第3回メールマガジンをお届けいたします。
どうぞ最後までよろしくおつきあいください。


【僕はお父さんとお母さんの子じゃないの!?】

僕は子どもの頃、もの心ついたときからずっと
「おまえは橋の下から拾ってきた子だ」と言われ続けていました。

悪いことをしたときはもちろん、そうでない普通のときにも言われたりしていたので、
自分の中では子どもながらにとても信憑性のある話に聞こえ、
本当にショックを受けていたのをよく覚えています。

今になって思えば、親からしてみればほんの脅し文句だったり、
ふざけて子どもをからかっていただけなのかもしれませんが、
 
自分が何の疑いもなく親だと信じていた人が、実はまったくの赤の他人だとしたら…
まだ幼稚園やそこらの子どもにとって、これほどつらすぎる、重い現実はありませんでした。

「おまは三条京阪の橋の下で拾ってきた子や」
「おまえはお父さんとお母さんの本当の子じゃない」
「もうすぐおまえの本当のお父さんとお母さんが迎えにくる」

これを言われる度にまだ幼かった僕は、本当にこの世の終わりのような絶望感と、
目の前にいるこの人たちから、本当の親に返すという名目でまた捨てられ、
 
住み慣れた家や家族と離れていかなければならないという、
恐怖とさびしさと不安で張り裂けそうな思いでした。

「うそだ、うそだって言ってよ!」
「いい子になるからそんなこと言わないで!」
「いやだ、ここでお父さんお母さんといっしょにいたい!」

ごめんなさい、ごめんなさい、ちゃんと言うこときくからこの家にいさせて、
お父さんお母さんの子でいさせてと何度も何度も泣き叫びながら両親に懇願しても、
 
当時の両親からは
「うそだよ、おまえはお父さんとお母さんの本当の子どもだよ。」
という言葉は一度も聞かせてもらうことはなく、
とても冷たい薄笑いを浮かべていた母の顔をがぼんやりと脳裏をかすめます。

そうですね、今思えばとくに母親はよくそれを言っていたことを覚えています。

同時に僕はいつも、
 自分の本当の両親ってどんな人なんだろう?
 やさしい人なのかな?恐い人かな?
 僕をどうして捨てたんだろう?
 新しい家に行ったらどんな生活が待っているんだろう?
そんなことをいつも本気で、真剣に考えていました。

【おまは三条京阪の橋の下で拾ってきた子や】
 
三条京阪というのは、滋賀県と僕の住む京都と大阪をつなぐ
京阪電鉄の駅のある場所なんです。
 
僕は小さい頃、親とこのあたりへ買い物などに出かける度に
「あんたはあの橋の下で拾ってきたんやで」と
からかうように言われるのが苦痛で苦痛でしかたありませんでした。

繁華街へ買い物に出かけるのはうれしかったけど、
それを言われると思うと憂鬱で複雑な思いでした。

おもちゃなんかを買ってもらってルンルン気分でいても、
それを言われた瞬間に奈落の底へ突き落とされたような気分でした。

結局それは僕が小学校3、4年生頃までずっと言われ続け、
やがて僕はそれを言われそうな空気を感じたときには
わざと親の気をそらそうとしました。
 
違う話を一生懸命したり、妹や弟に「おまえらもそうだ」と言ったりしていましたが
親から「それはおまえだ」と言われてはもはやなす術もありません。

両親を、妹を、弟をみては「ああ、自分だけがここの本当の家族じゃないんだ」
というつらすぎる現実と、妹や弟に「いいなぁ、あいつらは本当のお父さんお母さんで」
というなんとも悲しい羨望を抱いていました。

いつか迎えにくる本当の両親がいるという重い重い現実を受け容れることができず、
とにかく親に見捨てられないようにしよう、怒られないよう、喜ばせるよう、
あの話をされないようにせいぜい機嫌をとろうと、
いつも顔色をうかがっていたのを思い出します。

今思えばとても傷ついていたし、情緒不安定な子どもだったと自覚しています。

それ以来、大人になってからもずっと僕は「両親から嫌われている」
と思っているところがずっとあるのです。
 
今もそれが、たまに会う父や母から発せられる些細な、何気ない一言にとても
過剰な反応をして悲しくなったり、抑えきれない怒りの衝動に駆られたりします。
 
「やっぱり自分は父から鬱陶しいと思われているんだ」
「母はやっぱり僕のことを嫌っているんだ」
 
という思い込みというか刷り込みが容赦なく僕を苦しくめることが少なくありません。

僕には4歳の女の子がいるのですが、その子をみていると
小さい子ってとても純粋で無邪気で制限がない反面、

実はとても繊細で、観察力が鋭くて、大人の言動や行動にとても敏感で、
幼いなりにちゃんといろんなことを理解していたりします。

そういう時期に「おまえは拾ってきた子だ」のように、
ネガティブでショッキングなことを刷り込まれた子どもは、
とても自己重要感が低く、いつもどこかで劣等感と絶望感を感じているような人間に育ちます。

やがて僕がそうだったように親の顔色をうかがい、機嫌をとり、
怒らせないよう、見捨てられないようにという不安と恐れから
行動するようになってしまいます。

いちばんお父さん、お母さんが大好きで、愛されることをいちばん望んでいる時期に、
その大好きな人たちから傷つけられ、愛を与えれなかった子どもは、
大人になってもそのとき感じた絶望と孤独感をずっと持ち続けてしまうものです。

愛されなかった自分は価値がない。
まして拾われてきた子だなんて言われたらどうでしょうか?
捨てられるような自分は価値のない人間だ。
だからお父さんお母さんにも愛してもらえなかったんだ…。

ずっとそんな思いを抱えてきた僕は、いつもどこか満たされていなくて、
自分のことが価値のない存在に思えて、なんだかいつもさびしくて孤独で、
とても無力な存在なんだと感じて生きていたように思います。

さびしさからか誰かの気をひきたくて、わざといたずらをしたり、
ふざけたりおどけたりして、人に笑われるようなことをしてみたり。

そういえば、親や先生に怒られているときも、傷ついたり悲しかったりしても
それを隠すように、本当は今にも泣き出しそうな自分を必死でおさえて
歪んだ笑みをうかべていた幼い日の自分を思い出したりもします。

【本当に自分がしてほしかったこと】

「うそやで、あんたはお父さんとお母さんの大事な子やで。」
って言ってほしかったなぁ。。。

本当は今からでもそう言ってもらいたい自分が、
ずっと心の奥で泣いているのを感じる瞬間がとてもつらかったりするのです。

お子さんのいらっしゃる方や、これからお父さん、お母さんになる方は、
どうぞ子どもにありったけの愛を注いであげてください。
まちがっても「おまえは拾ってきた子だ」なって言っちゃだめです。

どれだけあなたを愛しているか、あなたがいてくれるだけでお父さん
お母さんはどれだけうれしくて、しあわせであるかをたくさん伝えてあげてください。

生まれてきてくれて、お父さんお母さんのところにきてくれて
本当にありがとうねって伝えてあげてください。
いっぱい、いっぱい抱きしめてあげてください。

あなたが何かが出来ようと出来まいと、あなたはただ生きていてくれるだけで
お父さんやお母さん、それにたくさんの人をしあわせにしてるんだよ。
 
あなたは素晴らしいんだよ。
あなたはただそこにいるだけで、存在しているだけで
誰かをしあわせにできるとても価値ある存在なんだよ。

お父さんとお母さんは、あながいちばん大好きなんだよ、大切なんだよ。
 
愛しているよということをどうぞしっかりと教えてあげください。

きっと自己重要感の高い、自分も他人も大切にできる、
愛と強さとやさしさにあふれた存在として成長されることでしょう。


ではまた。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

※編集後記
今回のメールマガジンいかがでしたか?

今回も僕の実際の経験をシェアさせていただくことで
なにかを感じていただければと思い書かせていただきました。

実は僕のように「おまえは拾われてきた子だ」と
親から言われた経験のある人はとても多いということを聞きました。
とくに僕と同世代の昭和40年代生まれの人は、
当時なぜかそういうことを親が子にいう風潮があったそうです。

考えたらとんでもない話ですよね。

僕と同世代の人には自己価値の低い人や、いつも他人の評価を気にして
不安や恐れから行動してしまう人が多いのかな、
などと考えたりもしてしまいます。

自分はちゃんと愛されて育ったという実感をもてず 大人になった人は、
自己重要感が低く、不安や恐れ、
孤独感や無力感を抱いていることが少なくありませんし、
いわゆるアダルトチルドレンと呼ばれるような状態にある人もめずらしくありません。

僕がいう「自分軸を育てる」って、傷つき絶望感を背負った心と向き合うことで、
どこでひっかかっていて、何につまづいているのかを洗い出し、
 
親から受け取った価値観やありがたくない刷り込みをそっくりそのまま親に返し、
心のなかをクリアにし、自分は愛すべき価値ある存在なんだという
新しい在り方に書き換えていくことなんですね。

人は何かができるから価値があるとか、できないから価値がないとかではありません。
「なにかができようとできまいと、私は、あなたはただ存在しているだけで価値がある。」

どうぞそのことを忘れないで、あなたのための、あなたらしい、
あなただけの人生を創造していきましょう。



今回のメールマガジンはいかがだったでしょうか?
感想などをいただけるととても嬉しいし励みにもなります。

このメールにご返信いただければけっこうですので、楽しみにお待ちいたしております。

それから。。。
僕の音声ファイルは聴いていただけましたか?
聴いてくださった方、いかがだったでしょう?

まだお聴きいただいていない方はよろしければ
こちらからダウンロードしていただけます。

http://goo.gl/1iMiVG

そちらの感想なんかもお待ちしております。

感想やご意見をいただいた方には、お時間をいただくかもしれませんが、
必ずお返事させていただきますね!

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