こんにちは、長井啓悟です。
先日、号外という形でバックナンバー公開のお知らせを
メルマガで配信させていただきました。
今回でまだ9回目の配信ではありますが、メルマガを始めてまだ2ヵ月も経ちませんが
少しづつではありますが着実に購読者の方が増え続けていることはとても励みにもなり、
よい緊張感を保つモチベーションにもなっています。
なにより「バックナンバーは見れないのですか?」というご要望を
何人かの読者様からいただけたのは本当にありがたく、とてもうれしいことです。
毎回、こんなの読んでもらえるのだろうか?
こんな稚拙な切り口で人の心になにを訴えられるのだろうか?
そんなことを考えたりすることも少なからずあります。
自問自答を繰り返しながらもみなさんにお届けしている
僕の拙い文章を読んでくれている人がいる。
向上心と感謝を忘れずに、これからも読者の方それぞれに
なにかを感じていただけるような記事を書いていければと気持ちを新たにしています。
これからもどうぞよろしくお願いします。
それでは長井啓悟のメールマガジン、最後までよろしくおつきあいください。
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幸せな生き方ってどんな生き方ですか?
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「幸せな人生とか、幸せな生き方ってどんなものですか?」
「そもそも幸せってなんですか?」
「自分が幸せかどうかよくわからないんですけど」
「仕事もそこそこ、収入もそこそこ、それなりに評価もされてるのに
なぜか満たされない…」
そんなふうに云う人は少なくありません。
僕もそうだったのですが、幸せってとても特別なもので、
非日常な体験や時間を過ごすことだったり、何かを手に入れることのように
考えてしまいがちですが決してそうではありません。
よく云われることですが、日常の何気ない、一見当たり前のようなことが
実は特別なことであり、幸せであるということ。
帰る家がある、あたたかい家族がある、毎日3度の食事が摂れる、
毎日風呂に入れてフトンで寝れて・・・
数え上げたらきりがないくらい、日常、私たちの周りには幸せがたくさん溢れています。
意識の向く方向、見ている先が変わるだけで、
私たちはいくらでも自分が幸せであることに気づき、それを感じることができるのです。
心が自由で、制限の少ない人ほど、ささいなことに幸せを見出すものです。
そう、幸せを感じられる人に「当たり前のこと」は存在しません。
すべてが特別で、周りのすべてに素直に感謝できる人です。
それはどういうことかというと、心が自由な人は感じる力が豊かです。
感じることに制限をかけていないから、あらゆる事象に対して発想も受け取り方も自由です。
そう、受け取り上手な人も多いですね。
つまり「これはこういうものだ」とか「こうでなければならない」だったり
「そうでなければおかしい」といった固定観念や常識に縛られていないからです。
「ねばならない」
「べき」
という考えに支配されていないからです。
一方、子どもの頃からこうしなさい、ああしなさい、こんなふうになりなさいと、
親の価値観をおしつけられて育ってきた人は、自分の意思で、心で目で、
ものごとを見たり判断したりということが出来ない人が多いです。
親の価値観をそのまま自分のものとして、自らを型にはめた生き方をしている人は、
親が奇麗だと云ったものを綺麗と云い、親が素晴らしいと云ったものを素晴らしいと思う。
親が価値があると云うものに価値を感じ、価値がないと云うものには価値を感じない。
というより感じてはいけない、自らの価値観など持ってはいけないと
信じてしまっている人は決して少なくありません。
関口さんは美しい花をみて、素直に「美しい」と言葉にすることができますか?
周りのほとんどの人がそんなに綺麗かな?と言っていても「綺麗だ」と言えますか?
では親や、あなたより目上の人や、お世話になっている人が
あなたと違う意見だったとき「私はそうは思いません」とはっきり言えますか?
生きづらさを訴える人と話していると、
「言ってはいけない」「感じてはいけない」「思ってはいけない」
究極「自分であってはいけない」
そんな生き方を選択している人がとても多いように感じます。
【自分の心に、感覚に響くもの、これだと思うものを信じ従う】
僕は思うのです。
自分で見て、触れて、感じるままを受け取り、その思いに正直に生きる。
それこそが幸せな生き方ではないのでしょうか?
誰かのために価値観を歪める必要がありますか?
だってあなたはあなたであり、僕は僕であり、あなたも僕も自分のために
自分の人生を生きているのです。
大袈裟でもなんでもなく、自分の生き方や在り方に少しでも疑問を感じている人は、
自分は誰の人生を生きているのか?ちゃんと自分の人生を生きているか?
今一度ご自身に問いかけてみてください。
そして何か違うと感じたり、違和感を感じるのであれば、
軌道修正されることをおすすめします。
僕でよければいつでもご相談ください。
僕はそのために心のセラピストとして活動しています。
自分で生きていけない子どもならいざ知らず、僕たちはもう成人し、
自分で選択し、自らの力で生きていける立派な大人なんです。
どんなに親の云うとおりの生き方を選択し、大人になってまた上司や周りの人たちの
価値観を優先し、云われるがままに生きることで選ばれ、認められたとしても、
もしそれで生きづらさを感じ、満たされない思いを抱えているとしたら、
それは自分の人生でもなければ幸せな生き方でもなく、ただ人に決めてもらう、
支配される人生を生きているに過ぎません。
端から見て本当に幸せそうに生きている人は、
自分で自分の価値をちゃんとわかっています。
他人に自分の評価を求めたりしませんし、人から認められようとか、
そのために人に気に入られるための行動をとったり、ときに誰かを陥れたり、
金銭的、物質的な成功や権威をまとうことを求めたりしないものです。
自分は人から見てどのように映っているのだろうか?正しいのだろうか?
まちがっていないだろうか?などと自分を疑ったり、
責めたりするようなことはしないのです。
たとえばどんなに周りから、あなたは優秀です、素晴らしいですと評価され
認められたとしても、それが周りや評価してくれる人の期待に添うために
発言したり行動したりした結果であれば、果たして本当にそれは本人にとっての
幸せであると云えるでしょうか?
だったらなぜ自分の中で言いようのない窮屈さを感じたりするのでしょう?
僕は自分の中の過去と対峙したとき、自分で選べなかったことやできなかったこと、
親や周りに屈して自分の思いを遂げられなかったことに、
とても感情を揺さぶれることに気づきます。
【悔いを遺さない、他人に委ねない、自分に誠実でいること】
この先幸せに生きたいと願うのであれば後悔をしないこと。
誰かのための選択、他人の価値観の優先をしないこと。
そのためには最初から正直に、素直に、自分に対して誠実な選択をすることです。
誰かの期待に応えられなかったり、嫌われたり、離れられたりすることは
たしかにつらいことかもしれません。
しかしそれらは長い人生のほんの一部であり、一瞬の出来事に過ぎません。
そんな一時的な痛みをさけるために、自分という存在を自分で否定してしまうほど
本末顛倒なことはありません。
どんなに周りに評価され認められても、求められても、その生き方が、在り方が、
自分が心から望むものでなければ、僕は、僕だったらまちがいなく不幸です。
心から幸せであると実感して生きたいのであれば、それまで信じて疑うことのなかった
親や他人からもらった価値観を手放すこと。
仕事、環境、人間関係など、その過程で起こる別れもまた、
あなたが自由で幸せに生きるために手放す必要があるもののひとつに過ぎません。
恐れずに自分の心の声に誠実であること。
幸せの大きさとは、自分で自分のことをどれだけ大切に出来ているかに比例する。
僕はそう思うのです。
ではまた。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
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『編集後記』
関口さん、今回のメールマガジンいかがでしたか?
私事ではありますが、僕が経営しているリラクゼーションのお店が
この2月で開業8周年を迎えさせていただきました。
開業前、周りからは、こんな不景気な時代にやめとけだったり、
おまえなんかに絶対無理、3年もったら認めてやるわなど
けっこう辛辣なことを云われたり、反対されたりしたものです。
資金的にも潤沢であったわけでもない、決して順風満帆でない状態で
スタートしたお店でしたが、地域のお客様、頑張れと応援してくださった
方々に支えられての8年間だっただけに感慨深いものがあります。
今も決していいことばかりではありません。
むしろ苦しいことのほうが多いかもしれません。
でも振り返れば、ただ人を癒す仕事が好きで、やりたくて、その一心で
始めたこと。
思いというエネルギーに妥協せず、躊躇せず突っ走れたことは、僕にとって
経済的、物質的成功よりも大きな成功であり財産であると信じて疑いません。
出来上がったお店を見たとき、初めてお客様がいらしたとき、とっても幸せでした。
幸せって思いどおりに生きることなんだ。
そう確信した瞬間です。
諦めない力、好きというエネルギーの大きさ、やるという覚悟。
それらのもたらすパワーは計り知れません。
人を動かし、不可能を可能にすることだってあるのです。
どんなことにでも言えます。
負け惜しみでなく、他人がいくらあれは失敗だ、バカだ、わかってない、
ザマぁみろ、損な生き方だと言ったとしても、自分が納得していれば、
よかったと思えるならそれは成功なのです。
大成功です。
8年前、僕は38歳でした。
そして今年5月で47歳です。
「あーあ、オレももうすぐ40かぁ…」
なんて思っていたのに、40どころか気づけばもう50代がみえてきています。
あっというまでした。
時の流れは早いです。
決して時間は無限でないことを物語っています。
他人のために生きてるヒマなんてないのです。
今すぐにでも自分の人生を生きませんか?
幸せに生きるために、もう恐がるのやめませんか?
僕と一緒に嫌われましょうよ!(笑)